ヒトはクリエイティブな造形物であるか

どーも、ソルトです!

マーケティング の対象はヒトであることに着目して書いていきます。

脳科学をやってる身として、 人間自身がクリエイティブな造形物なのか を考えてみたいと思います。

これを考えるにあたって、 クリエイティブの定義 gashooに上がってくるクリエイティブな作品の定義、 それと比較した人の定義 について考えます。

クリエイティブについて クリエイティブと感じるのは人間のみと仮定します。 クリエイティブとは、人間が自他のヒト、モノ、と接触した際に五感を通じて認識する経路、感じ方、咀嚼の仕方を、意図的にロジカル的に考え、その表現方法の希少性に対して重み付けする形容詞。 とします。

作品の定義 gashooに上がってくるものは画集であり、作品。 思想を モノ化 したものであるととらえます。 人間がモノを認識する時には五感のうち、視覚 が大きな入り口だと思います。 人間がそれをクリエイティブと感じるのは 主に作品の刺激信号を視覚野領域における変換操作をし、その上で、咀嚼する。それに付随する希少性であると考えられます。

ヒトについて まず、ヒトの希少性は意図的に誰かに作り上げたものでしょうか。 自分自身、自他以外のヒトの二つに分け、対象をクリエイティブにする ということについて考えます。

自分自身についての考察 作品と同じ定義とすると、完全に客観視することができる生き物だとすると、自分を視覚野を揺さぶるデザインする、つまり服装や見た目が該当すると思います。 しかし、完全に客観視するのは無理ということでなし。

自他のヒトについての考察 自他のヒトをクリエイティブにできるのでしょうか。 ? マネキンだったらできるでしょうがヒトは無理だと思います。 なぜなら自他のヒトも自分を完全に客観視できないヒト個人であるからです。

とすると、ヒトに対して、このクリエイティブの価値観は適応できないと考えます。

ではヒトはクリエイティブな造形物ではないのか。 今回、視覚野という3次元の中で考えてみましたが、これを膨らませて時間的側面も踏まえた4次元で考えたいと思います。 ヒトとモノの違いは、時間的に状態が自然と変わることと定義します。心臓の脈や、ゆらぎ、動的平衡など。

ヒトは、努力、経歴、スキルなどによって希少性が固まると思います。 過程 を重んじるのが人の特徴ではないでしょうか。 人のブランディングには過去の経歴が必ず入ります。 つまり、そこさえデザインすれば、咀嚼の仕方を意図的に発信できるものであると考えます。

3次元領域ではクリエイティブという定義に該当し得なかったヒトは 4次元領域でクリエイティブな存在として存在しうる。

という結論になります。

4次元をデザインしている動画、インターラクティブアート、これからくるであろうxR領域、 この辺をどう定義化してヒトと差別化したモノとしての再定義をして、クリエイティブという言葉を発信していくか、 また、僕たち自身がクリエイティブな存在、つまり4次元領域におけるクリエイティブ作品、になりうるか、 考えてみたら面白そうだと思いました。

morecreativeを、ヒトに落とし込む。 その観点からマーケティング します。